楊靖宇
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河南省確山県生まれ。省立第一工業学校在学中に革命運動に参加する。1926年、中国共産主義青年団に加入[2]。1927年に中国共産党へ入党し、確山県の農民暴動を指導して確山農民革命軍総司令となる。
1929年春に東北部へ派遣され、中共撫順特別支部書記[2]。撫順の炭坑労働者の間で活動するが、すぐに逮捕される。満州事変後にハルビンから出獄した。東北反日総会の責任者となり、中共ハルビン市書記に任命[2]。1932年4月、中共満州省委代理軍委書記[2]。同年11月に磐石遊撃隊へ派遣される。1933年春、南満遊撃隊政治委員[2]。
1933年9月に東北人民革命軍第1軍独立師が成立し、師長兼政治委員に就任した。1934年11月、東北人民革命軍第1軍軍長兼政治委員。1936年に東北人民革命軍から東北抗日聯軍に改編。同年6月に第1路軍総司令となる。
1939年、日満軍警による討伐が開始され、次第に追いつめられる。1940年2月に濛江県三道崴子で包囲され、投降を拒否して射殺された。解剖の結果、胃の中には野草の根と木の皮しかなかったという。遺体は日本軍に渡され、その死は大々的に宣伝された。
1946年2月14日、楊靖宇を記念して濠江県は靖宇県に改称された[3]。1962年に同県城内に楊靖宇将軍記念館が開設され、1995年8月15日には戦死地に移転し、愛国主義教育の拠点となっている[4]。
