詩集は1889年(明治22)年4月9月、本名の北村門太郎の名義で出版された[4]。しかし透谷の4月12日の日記に「餘りに大膽に過ぎたるを慚愧したれば、急ぎ書肆に走りて中止することを頼み、直ちに印刷せしものを切りほぐしたり」とあるように、あまりに大胆すぎると恥じて本を回収したとされる[4]。1902年(明治35年)に最初の透谷全集が出たときは、日記のなかに綴じ込まれていたものを元として「楚囚之詩」が掲載された[4]。
自費出版本は一般にはほとんど流通せず、残っていないと思われていたが、1930年(昭和5年)、白木屋での古書即売展において早稲田大学の学生によって発見された[3][4]。その後も数冊発見されている[4]。