楠瀬熊治
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土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)に沢村辰吾の三男として生まれ、楠瀬好静の養子となった[1][3]。1891年(明治24年)に東京帝国大学工科大学火薬学科を卒業した後、フランスに留学した[1]。1894年(明治27年)に帰国後、海軍少技士となった[1]。1904年(明治37年)、造兵少監となり、翌年に造兵監督官としてイギリスに出張[1]。1907年(明治40年)、造兵中監に昇進し、翌年に帰国[1]。1911年(明治44年)、造兵大監となり、下瀬火薬製造所長、造兵廠火薬部長、海軍大学校教官などを務めた[1]。1915年(大正4年)、海軍技術本部技術会議員となり、翌年には造兵総監に昇進した[1]。1921年(大正10年)に造兵中将に任じられ[1]、海軍火薬廠長を務めた[4]。1924年(大正13年)に予備役に編入[1]。
また1898年(明治31年)より東京帝国大学工科大学講師も務め、1902年(明治35年)に教授に就任し、火薬学講座を担当した[1]。翌年には工学博士号を受領[1]。1923年(大正12年)、東京帝国大学教授を退官し、名誉教授となった[1]。墓所は多磨霊園。
