榎並充造 From Wikipedia, the free encyclopedia 榎並 充造(えなみ みつぞう、1879年11月18日 - 1951年2月7日)は、兵庫県神戸市南京町出身[1]の日本の実業家。バンドー化学の創業者。次男・正一もバンドー化学の会長を務めた。 兵庫県神戸市で質屋を営む両親の下に生まれる[1]。 当時の神戸には中学校がなかったため、1895年に姫路中学に入学[1]。1年ほど同校で勉強するが、1896年に地元・神戸に神戸中学が開校したため、そちらに転校した[1]。神戸中学時代の同級生に岡崎忠雄がいる。神戸中卒業後は早稲田大学に進学。卒業後は志願兵として軍に入隊し、そこでの功績が認められ、正八位を贈られた[2]。1904年に父の死去にともない実家の質屋を継ぐ[3]。 1906年にバンドー化学の創業に携わり、内外ゴム、バンドー化学各社長、播磨造船取締役などを務めた[4]。 1928年には第1回普通選挙に立候補し、神戸市議に当選[1]。 神戸商工会議所会頭(1921年 - 1931年、1948年 - 1951年[2])、神戸女子薬学専門学校理事長(1934年[2] -?)などを歴任。 またブラジルとの関係強化にも力を入れており、1926年に「日伯協会」を設立すると、同会の理事に就任。太平洋戦争中も、軍からの圧力を無視して会を存在させ続けた[1]。 1951年2月7日、菩提寺である迎接寺での戦死者供養中に脳出血を起こし、同地で死去[5]。71歳没。葬儀委員長は長年の親友であった岡崎忠雄が務めた[1]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 『学校人脈 姫路中〜姫路西高編』神戸新聞社、1978年、24-25頁。 1 2 3 “榎並充造の生涯”. 2026年2月26日閲覧。 ↑ 榎並充造 (第4版) - 『人事興信録』データベース ↑ 榎並充造 (第8版) - 『人事興信録』データベース ↑ 「榎並充造氏死去」『朝日新聞』1951年2月8日。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 Related Articles