開拓使官吏・榎本武揚の長男として生まれた[1][3][4]。父の死去に伴い、1908年(明治41年)11月10日、子爵を襲爵した[1][3][4][5]。
1898年(明治31年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[2][3][4]。
1910年(明治31年)4月16日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し、死去するまで在任した[2][3]。その他、臨時博覧会評議員、衆議院議員選挙法改正調査会委員、都市計画中央委員会委員、帝国電灯社長などを務めた[2][3]。
1924年(大正13年)11月、東京府豊多摩郡中野町の自宅で療養中に死去した[3]。墓所は文京区吉祥寺。