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樟紀流花見幕張

歌舞伎の演目 From Wikipedia, the free encyclopedia

『樟紀流花見幕張』(くすのきりゅう はなみの まくはり)は、歌舞伎の演目。通称は「慶安太平記」(けいあん たいへいき)[1]、「丸橋忠弥」(まるばし ちゅうや)[1]、「花菖蒲慶安実記」[1]。河竹黙阿弥作[1]。全7幕[1]。明治3年3月(1870年4月)東京守田座で初演[1]。現代では、主に「丸橋忠弥」の場面が上演される。

概要

由井正雪による幕府転覆未遂事件・慶安の変を題材とし、実録本『慶安太平記』や浄瑠璃「太平記菊水之巻」「碁太平記白石泰平噺」などを素材とする[1]。

黙阿弥は、この作品を親友だった四代目市川小團次の養子 初代市川左團次のために書き下ろした[1]。左團次は、若さと芸の未熟さゆえに、なかなか人気が出なかった[1]。小團次と旧知の仲だった黙阿弥は、本作の四幕目に左團次の一人舞台を設定した[1]。これに対して、役者たちは黙阿弥に反発したが、黙阿弥は説得に成功し、左團次に失敗した場合、演劇界に残ることはできないと迫った[1]。黙阿弥による演技指導の甲斐もあって、左團次の忠弥は大評判となった[1]。左團次は本作の成功によって名声を得て、明治三名優「團菊左」と呼ばれるまでになった[1]。

初演時には、時代設定や登場人物名が『太平記』に倣って改変されていたが、1875年(明治8年)5月の河原崎座での再演では、明治政府の史実尊重の姿勢に応じて、時代設定や登場人物が史実に沿ったものとなった[1]。

あらすじ

あらすじは、河竹登志夫の要約に拠る[1]。

楠木正成の末裔と名乗る由井正雪は、軍学と武芸を指南する道場に同志を集め、幕府転覆を図る。同志の一人丸橋忠弥は、江戸城攻撃に備えて掘の深さを測量すべく、泥酔した中間に変装するが、来かかった老中松平伊豆守に見咎められる(江戸城掘端の場)。

忠弥は謀反を隠すため、わざと酒浸りの日々を送っている。そうとも知らない舅の弓師藤四郎は、借金の返済と妻お節の離縁を迫る。困った忠弥は、藤四郎に真相を話し納得させようとしたが、かえって驚愕した藤九郎に訴人される。大勢の捕り手に囲まれた忠弥は抵抗むなしく、捕縛される(忠弥内捕物の場)。

松平伊豆守は正雪に切腹を促そうと駿府に駆け付け、正雪は松平伊豆守の面前で腹を切る。

上記の主筋に様々な挿話が入り、内容はかなり複雑なものとなっている[1]。

初演時の配役

左より、初代市川左團次の丸橋忠弥
四代目中村芝翫の宇治常悦(由井正雪)
二代目澤村訥升の金井谷五郎
初代市川左團次の丸橋忠弥

見どころ

「濠端」と「捕物」の二幕がもっぱら上演される[1]。

「掘端」では、忠弥の「……とんだ無限の梅が枝だが、ここで三合かしこで五合、ひろい集めて三升あまり、これじゃしまいに源太もどきで、鎧を質に置かざあなるめえ。裸になっても、酒ばかりは呑まずにはいられねえ」という科白が有名である[1]。また、小石を堀に投げて煙管を構えて耳を済ます見得や、伊豆守との出会いの掛け合いなども見どころである[1]。

「捕物」では大詰めの大立ち回りが見どころで、従来の舞踊的な立ち回りに比べて、現実的で激しい立ち回りが特徴である[1]。

忠弥の芸は、左團次の長男・二代目左團次に継承された。

脚注

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