権藤要吉
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福岡県筑紫郡三宅村(現・福岡市南区)で権藤伊兵衛の長男として生まれる[1]。福岡県立福岡工業学校(現・福岡県立福岡工業高等学校)建築科から名古屋高等工業学校に進学[1]。1916年(大正5年)同校建築科を銀時計授与され優等で卒業した[1]。
卒業同年、住友総本店営繕課建築係に入り、竹腰健造に師事[1][2]。
1921年(大正10年)から学校側の推薦により住友を辞し、内匠寮技手として宮内省に勤務[1]。高橋貞太郎の下で東伏見宮邸(大正13年)を手がける。これはのちの宮邸平面計画の原型となる[1]。
1923年(大正12年)、東京商工奨励館主催の商店建築及店頭計画競技で選外佳作[3]。
1925年(大正14年)、貴族邸宅及び博物館研究のために欧米に派遣され、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、オーストリア、イタリア、アメリカなど各国を視察する[1]。フランスでは同年のパリ万国博覧会(アールデコ博)を度々視察している[4][5]。欧米派遣の間ロンドンにて朝香宮夫妻と親交を深める[1]。
翌年帰国し、宮廷建築を手がけ、のちに内匠寮工務部建築課長をつとめる[1]。