横山信二
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業績
1927年(昭和2年)の帝都復興による国施行の東京と横浜の6公園の計画施行で、とくに東京の錦糸公園築造工事の末期と隅田・浜町の両公園に関与、浜町公園の陸上競技場や野球場、隅田公園西側のプールスタンドや少年プール、錦糸公園の中央大トラックなどの運動施設の設計設置構想を打ち出す(横浜の公園の方には運動施設は設置なされなかった)。
1932年(昭和7年)から、北村徳太郎等と共に東京緑地計画協議会幹事として東京緑地計画の原案作成に参画、その完成まで総額5億円を目標としたといわれる試算まで算出、1937年には成案にさせる。緑地計画と併行して風致地区の調査、配置計画や道路緑化事業にも強い関心をもってこれに当り、当時の帝都防備と土地修景の原則を打ち立てている。
一方で東京景園倶楽部を設立、1938年には内務省内に設立された公園緑地協会創立に尽力し、創立以来幹事をつとめていた。