横山裕一
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中学生の頃にSF小説と勘違いして借りたアラン・ケイの本に書かれていた、ネットワークに繋がれたコンピューターが常に身の回りにある未来でのゲームを想像したことと、高校の頃にコンサートに出かけたが早く着きすぎ、偶然会場の隣で開催されていたNext Station(故ステーブ・ジョブスが率いていたNext社のワークステーション)の発表会でLANで繋がれたコンピューター同士でオンラインゲームをプレイしながらチャットができることを体感した事で、「ゲームはネットワークしかない!」と確信した。(出典:ファミ通.com[1])
25歳ごろまで飲食関連を中心に、様々な職を転々としながら、インディーズサークルであるアールフォース・ソフトウェアにマニュアル執筆係として加入、同サークルで4本のインディーズゲームの製作に企画・ゲームデザイン及びシナリオライター(出展:https://raido.moe/staff/pc98/pc98_metajo.html)として参加。3本目の作品であるメタ女は、アメリカのレトロゲーム配信チャネルであるBasement Brothersにおいては、「one of my favarite PC-98 games!」と評されている。(出典:Metajo - a weird addictive strategy game for the NEC PC9801!)
元々は映画監督か脚本家になりたかったが、なり方がわからず、前述のインディーズサークルでゲームを制作しながら、自ら販売も行っていた、当時はゲームの売り方がわからず、パソコンショップに直接「ゲーム作ったんで買ってください」と売りに行き、「流通を通して」といわれて始めて問屋と言うシステムを知ったほど無知であった。
しかし、委託販売で受け入れてくれる店舗があり、手売りだけで1000本程度売れた。
アールフォース・ソフトウェアが無くなった後、様々なゲーム会社に面接に行くもどこにも就職できず、携帯電話の販売代理店に勤めるが、そこでPHSの端末同士でメッセージがやり取りできるPメール(SMS)を体験し、「いつか携帯電話でネットワークゲームできる時代が来るぞ」と確信した。
その後、メタ女を販売していたANJIN(日本アドバンステクノロジー)に業務委託でプロディーサーとして入社。しかし、給与が増えたことで朝から晩まで飲み歩いたり、関東の生活に馴染めず一時はゲームクリエーターの道を諦めようとしたが、メタ女のファンがプログラムに興味を持ってプログラミングサークルを立ち上げた事を知って「僕はゲームによって他人の人生をかえたんだな」と気付き再びゲームクリエーターを目指すことになった。(出典:ゲームクリエーターの「働く」研究所)
偶然が重なり、アミューズメントメディア総合学院で教鞭をとることになり、同校で同じくプログラミングの講師をしていた木村と、1999年にアールフォース・エンターテインメントを起業。同社が制作した約300本のゲームソフトの殆どにプランナー、ディレクター、プロデューサーとして参加している。なお、アールフォース・エンターテインメントは2012年1月31日にサイバーエージェントの連結子会社となっている。
作品
- メタ女シリーズ PC98(ディレクター、ゲームデザイン、シナリオ)
- 北へ。Photo Memories DC(プランナー、シナリオ)
- メールドラマ 北へ。 iMODE(ディレクション、シナリオ)
- ブレイズ・ユニオン PSP(プロデューサー、シナリオ)
- CoinFalls 忍 iPhone/iPad(プロデューサー、ディレクター、プランナー)
- ディズニー ミュージックパレード iOS/Android(ディレクター)
- ePico たまごパンダのむちゅうランドへようこそ!(プランナー)
- ディズニー ミュージックパレード アンコール Nintendo Switch(ディレクター)