天文8年(1539年)、美濃国多芸郡の国人・横山時隆の子として誕生。長隆は小野姓横山氏(横山党)の末裔で、祖先は和田合戦のあと本領を失い、美濃に移住したと伝わる。長隆はまず、多芸郡直江郷の杉弥左衛門の婿養子となった。
清水城主・稲葉良通(通朝)に仕えるも、同僚と争い、相手を殺害して越前国に逃れる。大野城主金森長近に仕えた後、金森家を退き、越前府中で閑居して半喜と号す。天正10年(1582年)、前田利長に出仕し旗奉行となる[1]。
天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いに出陣し殿軍を務めて、近江国柳ケ瀬[2](現在の滋賀県長浜市余呉町柳ケ瀬)で戦死した。享年45。