横江嘉純
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富山県婦負郡保内村(現・富山市)に出生。祖父も父も、同村の村長だった。小学校高等科を卒業後、絵画家を志すも挫折し、彫刻家に憧れる。京都の常楽寺で書生をしながら京都市立美術工芸学校に学んだ。学校を特待生として1906年(明治39年)3月に卒業。
その後、徴兵のため3年間入隊。兵役終了後東京美術学校(現東京芸術大学)へ入学し、1914年(大正3年)に彫刻科を卒業。結婚して一男一女をもうけたが、長女が夭逝し、続いて母、長兄、妻をも亡くした(長男も1941年(昭和16年)に死去)。日本のシンセサイザー・プログラマー神谷重徳は孫にあたる[2]
数々の美術展で入選する。1929年(昭和4年)には帝展審査員に任ぜられ、死去するまでこれを務めた。1930年(昭和5年)から2年間、研究のためフランス、イタリアに渡欧したこともあった。
1952年(昭和27年)には功績が評価され、日展参事となる。1962年(昭和37年)、75歳で死去。