橋本策
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三重県阿拝郡西柘植村(現伊賀市)御代の医家に生まれる。旧制津中学校、旧制第三高等学校をへて[1]、京都帝国大福岡医科大学(現九州大学医学部)1907年第1回卒業生として卒業。第一外科に入局。1911年4月“甲状腺ノリンパ腫様変化ニ関スル組織的並ビニ臨床的知見ニ就キテ”を福岡医科大学第17回集談会にて発表、1年後の1912年にまとめてArchiv für klinische Chirurgieに掲載した。[2]今日では橋本病という疾患名が与えられている。
その後、1912年2月ゲッティンゲン大学へ留学、エドゥアルト・カウフマン(Eduard Kaufmann)教授の下で、尿路結核症について研究した。1915年第1次大戦勃発のため帰国、35歳の時に郷里の地で父親を継いで一開業医として医療に貢献する。1934年1月、腸チフスに感染し52歳で死去。[3]
