橋立大火

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橋立大火(はしたてたいか)は、1872年明治5年)10月7日石川県江沼郡橋立村(現・加賀市橋立町)で発生した大火。橋立集落を襲った災害のうち最大のものとなる大火である[1][2]

1872年(明治5年)10月7日、寺谷源平方より出火し[3][4][5]、3日間燃え続けた[3]。2日目、3日目には土蔵等の内部から炎が吹き出し、焼失したものもあった[3]

被害

現代(2008年04月29日)の空中写真における焼失範囲。[6]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

253軒のうち250軒が焼失し[7]、残ったのは米木、新町、山崎の3軒のみだった[5]。被害拡大の主な原因は、以下とされている。

  1. 北前船による回漕業に従事する者が多かったため、消火にあたる人手が不足していったこと[3]
  2. 消防設備が不十分であったこと[3]

この火災によって、酒谷本家(酒谷長兵衛家)[8]など、江戸時代からの船主の豪邸のほとんど[9]、因随寺などが焼失した[10]

復興

脚注

関連項目

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