橘倚平 From Wikipedia, the free encyclopedia 橘 倚平(たちばな の よりひら、生年不詳 - 天元3年(980年)[要出典])は、平安時代中期の貴族・漢詩人。字は橘宣。飛騨守・橘是輔の子[1][2]。官位は従五位下・日向守。 村上朝の応和3年(963年)三善道統宅で行われた「善秀才宅詩合」に出詠[3]。康保2年(965年)省試に及第して文章生に補せられた。 円融朝の天延2年(975年)ごろ日向守を務めた。勧学会の学舎を建立するために乞うた慶滋保胤からの書状に対する、天延3年(976年)の倚平の返信が残っている。倚平は建設計画を大いに喜び、賛成を示している[4]。 官歴 康保2年(965年) 10月29日:文章生[5] 天延2年(975年) 8月10日:見日向守[6] 脚注 ↑ 翰林書房 2000, p. 251. ↑ 『尊卑分脈』 ↑ 西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース ↑ 法蔵館 1979, p. 139. ↑ 『村上天皇御記』 ↑ 『本朝文粋』第12,天台霞標三編 参考文献 『国司補任 3』(続群書類従完成会 、2000年、448p) 『小大君集全釈』(翰林書房、2000年、251p) 『仏教史年表』(法蔵館、1979年、139p) Related Articles