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橘薫

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橘 薫(橘 かおる〈たちばな かおる〉[1]、本名:神谷悦子[2]、1912年〈明治45年〉3月28日[2][3][4] - 1963年〈昭和38年〉11月4日[5][6])はシャンソン歌手。宝塚歌劇団15期生(1939年退団、男役・娘役)で愛称はエッチン[7]。北海道出身[8]。

本名 神谷 悦子
別名義 橘 かおる
生年月日 (1912-03-28) 1912年3月28日
没年月日 (1963-11-04) 1963年11月4日(51歳没)
概要 たちばな かおる 橘 薫, 本名 ...
たちばな かおる
橘 薫
本名 神谷 悦子
別名義 橘 かおる
生年月日 (1912-03-28) 1912年3月28日
没年月日 (1963-11-04) 1963年11月4日(51歳没)
出生地 日本の旗 北海道
職業 女優・シャンソン歌手
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略歴・人物

1925年(大正14年)に宝塚音楽歌劇学校に入った宝塚歌劇団15期生の一人。

「橘薫」の芸名は、月組の指揮者で音楽家の金健二が命名[9]。

1930年(昭和5年)、岸田辰彌の高弟であった白井鐵造のパリ派遣からの帰朝みやげ第1回作品「パリゼット」の中で、同じく声楽専科で宝塚歌劇団13期生の三浦時子(タッチン)とコンビ「エッチン・タッチン」を組み[7][10]、歌い手として人気を得た[6][12]。

1938年(昭和13年)8月に行われた演目「三つのワルツ」の出演を最後に[13]、翌1939年(昭和14年)に宝塚歌劇団を退団。

その後、戦前派のシャンソン歌手として舞台で活躍[6]。

1954年(昭和29年)頃、芸名の表記を「橘かおる」とした[1][14][15]。

1962年(昭和37年)3月頃、胃の一部を切除し1/3の大きさになったという[16]。

1963年(昭和38年)11月4日、胃がんにより東京都内の病院で死去[5]。51歳没。

主な活動

宝塚歌劇団時代の主な舞台出演

  • 『クラスメート』(宝塚大劇場、1926年11月1日 - 30日、雪組)
  • 『イタリヤーナ』(宝塚大劇場、1928年3月1日 - 31日、月組)
  • 『シンデレラ』(宝塚大劇場、1929年9月1日 - 30日、月組)
  • 『マスコット』(宝塚大劇場、1930年5月1日 - 31日、月組)
  • 『パリゼット』(宝塚大劇場、1930年8月1日 - 8月31日、月組)
  • 『ローズ・パリ』(宝塚大劇場、1931年8月1日 - 31日、雪組)
  • 『春のをどり』『フーピー・ガール』(宝塚大劇場、1932年4月1日 - 30日、雪組)
  • 『巴里・ニューヨーク』(宝塚大劇場、1933年1月1日 - 31日、花組)
  • 『サーカス』(宝塚大劇場、1933年2月1日 - 28日、月組)
  • 『ベルリン娘』(新橋演舞場、1933年7月1日 - 12日、花組)
  • 『ラヴリイ・ラーク』(新橋演舞場、1933年7月13日 - 23日、花組)
  • 『花詩集』(宝塚大劇場、1933年8月1日 - 31日、月組)
  • 『ネオ・パリゼット』(新橋演舞場、1933年10月1日 - 25日、月組)
  • 『巴里のアパッシュ』『花詩集』(東京宝塚劇場、1934年1月1日 - 31日、月組)
  • 『春のをどり』(東京宝塚劇場、1934年3月29日 - 4月29日、雪組)
  • 『愛のワルツ』『カルナヴァル』(宝塚大劇場、1934年6月1日 - 30日、雪組)
  • 『ヂャブ・ヂャブ・コント』(宝塚大劇場、1934年9月1日 - 30日、月組)
  • 『メルヘンランド』(宝塚大劇場、1935年1月1日 - 31日、雪組)
  • 『プリンセス・ナネット』(東京宝塚劇場、1935年2月1日 - 26日、星組)
  • 『春のをどり』(宝塚大劇場、1935年4月1日 - 30日、星組)
  • 『マリオネット』(宝塚大劇場、1935年8月1日 - 31日、星組)
  • 『ミュージック・アルバム』(宝塚大劇場、1936年1月1日 - 31日、花組)
  • 『ポンペリイ博士』『ロザリータ』(宝塚中劇場、1936年5月6日 - 26日、雪組)
  • 『ラ・ロマンス』(宝塚大劇場、1936年8月1日 - 31日、雪組)
  • 『ラ・ロマンス』(東京宝塚劇場、1936年11月5日 - 29日、花組)
  • 『世界の唄』(宝塚大劇場、1937年1月1日 - 31日、星組)
  • 『マンハッタン・リズム』(宝塚大劇場、1937年5月1日 - 31日、星組)
  • 『宝石パレード』(宝塚大劇場、1937年10月1日 - 31日、花組)
  • 『プリムローズ』(宝塚中劇場、1937年11月6日 - 23日、花組)
  • 『ミシシッピー・ロマンス』(宝塚大劇場、1938年2月1日 - 28日、雪組)
  • 『吉例春のをどり』(宝塚大劇場、1938年4月1日 - 30日、花組)
  • 『五十番街の少女達』(宝塚中劇場、1938年5月7日 - 22日、花組)
  • 『新曲五色旗』(東京宝塚劇場、1938年6月1日 - 28日、花組)
  • 『三つのワルツ』(宝塚大劇場、1938年8月1日 - 31日、花組)

宝塚歌劇団退団後の活動

音楽
映画
  • 「ハナ子さん」(1943年2月25日、東宝、監督:マキノ雅弘)[18] - 音楽映画。
  • 「春の饗宴」(1947年12月30日、東宝) - 橘薫(本人)役[19][20]
  • 「おかる勘平」(1952年3月21日、東宝、監督:マキノ雅弘)[18] - 帝劇公演のミュージカル『お軽と勘平』(1951年12月)の映画化作品[21]。
  • 「殴り込み孫悟空」(1954年5月11日、大映京都)
(同名の人物・橘薫の出演作品)
次の映画・映像作品の出演者「橘薫」は、同名の別人。

脚注

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