欧米に追いつき追い越せ
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欧米に追いつき追い越せ(おうべいにおいつきおいこせ)は、日本の歴史においての言葉。
明治以来の日本においての国家の方針であった。この方針から経済発展を前提として、日本の経済や社会のシステムが形成されていった[1]。外交儀礼も、欧米に追いつき追い越せの姿勢で吸収していた[2]。
欧米に追いつき追い越せと、西洋諸学の吸収にも努められていた。このようにして最先端の学術情報を移入する担い手であったのは、文部省と帝国大学であった[3]。
福澤諭吉が欧米に追いつき追い越せのためには、外国の学問も修めなければならないとしていた。『学問のススメ』では、洋学を行う目的はここにあるということが初めて打ち出されていた[4]。明治維新より欧米に追いつき追い越せで国家を運営してきた結果、日本は一等国の地位に並ぼうとしていたのであったのだが、その途端に第二次世界大戦が発生していたのであった[5]。
19世紀の末から20世紀までが欧米に追いつき負い越せの時代とのことであり、この時代に欧米の先進的な科学技術を取り入れて、世界有数の経済大国となった[6]。第二次世界大戦後も、日本は欧米に追いつき追い越せという姿勢であり、欧米の先進の技術や生産プロセスを吸収して行き改善して、世界2位の経済大国にまで発展していった[7]。
高度経済成長期も欧米に追いつき負い越せの精神であり、そこでは経済性や機能性が重視されており、人々はデザインなどといった個性にはこだわらずに、大量に生産された画一的な製品を消費していた。大きいということが良いこととされ、より大きな物を多く所有し、次々と買い換えて行くという物質的な豊かさが追求されていた[8]。
20世紀は欧米に追いつき追い越せで、欧米が開発してきた新しい技術を必死に模倣することで成長できていた。それは欧米には答があり、それに到達をすれば良いという状況であったためである。20世紀はこのような模倣が経済成長の源泉であったが、21世紀は答えの無い時代であり、模倣ではなく自ら構築して、これまでとは違った価値を生み出す力が必要とされている[9]。
脚注
- ↑ “An Attractive Japan : Keidanren's Vision for 2020 / Part 1.”. www.keidanren.or.jp. 2025年12月3日閲覧。
- ↑ Inc, Nikkei (2025年4月4日). “<記者の目>時代の要請に応えた変化を”. 日本経済新聞. 2025年12月3日閲覧。
- ↑ ““私論公論”の場(前奏)昭和史における文部行政への政策評価”. chiikikagaku-k.co.jp. 2025年12月3日閲覧。
- ↑ “日本を動かしたことば | 広辞苑大学、開講!”. 日本を動かしたことば | 広辞苑大学、開講!. 2025年12月3日閲覧。
- ↑ “【経済安全保障が言われる中】「混沌の世」に基本軸をいかにつくるか? | 財界オンライン”. www.zaikai.jp. 2025年12月3日閲覧。
- ↑ “編集部通信 | 理科 | 編集部より | チャート式の数研出版”. www.chart.co.jp. 2025年12月3日閲覧。
- ↑ “日本経済の実像は、悲観バイアスで歪んだ”. ダイヤモンド・オンライン (2024年7月3日). 2025年12月3日閲覧。
- ↑ “1 平成以前の日本人の感性(美意識)”. www.mlit.go.jp. 2025年12月3日閲覧。
- ↑ “構想力・イノベーション講座 | 株式会社Aoba-BBT”. www.bbt757.com. 2025年12月3日閲覧。