ウォルツァーは本書で戦争に関する規範的議論を法学ではなく政治哲学の観点から基礎付けることを試みている[1]。戦争の道徳的現実を明らかにすることが本書の研究の意図と位置づけられている[2]。
ウォルツァーは、戦争にはラテン語でいうユス・アド・ベルム (jus ad bellum)と、ユス・イン・ベロ (jus in bello)という2つの道徳に関わりがあるという[3]。ユス・アド・ベルムは「戦争への正義」と訳されるが、正しい戦争目的に関する道徳である。ユス・イン・ベロとは「戦争における正義」であり、戦争で用いることのできる正しい手段に関する道徳である。ウォルツァーはこの2つの道徳は完全に独立しており、大義のある戦争が不正な手段で行われる場合もあれば、その逆もあり得るとする[3]。
ウォルツァーは戦争目的の正義を、自国内の人びとの法的立場から国際社会における国家の法的立場を類推する「国内類推」という思考方法で導き出し、正しい戦争目的とは自衛のための戦争だけであると主張している[3]。ただし、自衛のための先制攻撃、内政干渉、人道的介入などグレーゾーンな問題もあると指摘している。正しい戦争手段に関してウォルツァーは戦争慣例を下敷きに、基本原則として戦闘員は戦場にあっては平等だが、非戦闘員は戦争に利用してはならず、保護されるべき存在とする[3]。ただし、都市攻囲やゲリラ戦など、否応なく市民が巻き込まれるケースもあると論じる。
ウォルツァーが取り上げている論点の一つに勝利することと正しく戦うことのジレンマがあり、このジレンマを解決するためには切迫した危険に直面することで戦争法規を無効化する道徳的根拠を考察している[4]。
ウォルツァーは戦争慣例を無視できる例外的な極限状態を「最高緊急事態」と呼び、第2次世界大戦で行われた都市爆撃は最高緊急事態の要件を構成していないと論じた[3]。
ウォルツァーは、現実の戦争は道徳に必ずしも従わないとする現実主義の立場を取った上で、ハーグ陸戦条約やジュネーヴ条約など戦争の違法化の中で確立された基本精神によって、戦争における道徳の領域を拡大する論を展開している[3]。そして、戦闘員は一般市民を撃てないという戦争慣例から、非戦闘員を支配したいならば暴力のない強制を使わねばならないとし、この戦場における道徳が政治闘争としての戦争そのものの抑止に繋がると述べた。