正司考祺 From Wikipedia, the free encyclopedia 正司 考祺(しょうじ こうき、1793年(寛政5年)- 1858年[1]1月20日(安政4年12月6日))は、江戸時代後期の経世家である。字は子寿、通称は庄治。号に碩渓、南鴃がある。 肥前の有田で商人の子として生まれる。幼年期は貧困に悩まされたが、後に独学で経済を学び、産業開発や国産の増殖、町の復興に携わり貧窮から脱した。後に経世書を数多く執筆し、古今の学説を参照して、平等な社会の重要を唱えた。 金利の制限の撤廃や均田制の反対、武士の帰農を主張して、商人の自由を唱えるといった新しい学説を唱えた。この発想は、極めて類がない学説であり、後のブルジョワジーの発端ともなったと一部の学者からみなされている。 また、安積艮斎や佐藤一斎ら儒学者とも親交をもった。 主な著作物 主著 『経済問答秘録』- 1841年(天保12年)刊行。 『天明録』- 1856年(安政3年)刊行。 その他の著書 『家職要道』 『武家七徳』- 1845年(弘化2年)刊行。 ※いずれも経世書である。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 1857年とする説もある。 出典 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『正司考祺』- コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)『正司考祺』- コトバンク 日本大百科全書(小学館)『正司考祺』- コトバンク 典拠管理データベース 全般 ISNI VIAF 国立図書館 日本 学術データベース CiNii Books CiNii Research この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 この項目は、経済に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 経済学、プロジェクト 経済)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles