正垣泰彦
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1946年、兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市生野町口銀谷)で5人兄弟の三男として生まれた。祖父と父は医師であった[2]。小学3年の秋に東京へ引っ越し、1958年に佼成学園中学校に入学[3]。佼成学園高等学校を卒業すると、1964年から東京理科大学理学部物理学科に入学[4]。入学当初から淀橋市場で手伝いをはじめ、大学3年の春休みから新宿の飲食店「渋谷食堂」でアルバイトを始めた[5]。この頃、同じビルに入居していた飲食店の調理師見習であった山本慈郎は以後40年正垣の右腕として仕え、後に専務取締役まで上り詰める人物となる[6]。
店主や従業員から独立を待望され、正垣は父親に「レストランをやらせたい人がいるが、だれか板前を知らないか」と自分が開業することを伏せて相談すると、総武線本八幡駅前(千葉県市川市八幡2丁目)にあった「サイゼリヤ」というパーラーを設備ごと購入してもらった[6]。店名について、
店名はそのまま使うことにしたのですが、どの国の言葉でもなかったのです。ギリシャ神話の女神アフロディテの俗称Cythereaをもじってつけたのではないかと思いますね。自分としては店名にはこだわってなかったが、女神(ビーナス)の意味に近いので気に入ったのです。 — 正垣泰彦、[7]
と語っている。1967年7月7日に開店[7]。翌年に東京理科大学を卒業[8]。「サイゼリヤ」をイタリア料理店として再オープン。
1973年、株式会社マリアーヌ商会(現:株式会社サイゼリヤ)を設立して法人化、代表取締役社長に就任。その後、低価格メニュー提供で飛躍的に店舗数を拡大する。
2009年、同社のデリバティブ取引による損失発生により代表取締役社長を引責辞任し(後任:堀埜一成[9])、代表取締役会長に就任。