武智三繁
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- 7月25日
- 7月26日 - 8月4日頃
- (時期不明)
- 8月9日前後
- (時期不明)
- 8月19日 - 23日頃
- (時期不明)
- (時期不明)
- 8月26日
- 千葉県犬吠埼の東方約800キロメートル地点の太平洋上で[36]、漁場に向かう徳島県のマグロはえ縄漁船・末広丸が繁栄丸を発見し、救助を求めていると気づいた[33][37]。船の大きさが違うために船を横付けできず、飲み物、おにぎり、たばこなどを差し入れた[36][38]。その後、海上保安庁から連絡を受けた海上自衛隊の救難飛行艇が到着。出航から37日目にして生還を果たした[39]。
- この報道当時は極限状態からの生還というイメージが強調されたものの、後に武智自身が語ったところによれば、実際には水と食料を補給された時点で、船上を歩き回る余裕ができるほど体力が回復しており、救助に駆けつけた側がむしろ驚いていたという[40]。
- 12月
- 漂流生活を綴った著書『あきらめたから、生きられた』が出版された[43]。
漂流の要因
- 繁栄丸は購入直後にエンジンが壊れたためにエンジンを交換したが、資金不足で中古のエンジンしか買えず、このエンジンが最初から故障気味だった[6][44]。武智自身も機械の修理は不得意だった[8]。
- エンジンが最初に停止した時点でも、事態の深刻さに気づかず、「陸地がまだ近いので帰還は可能」と判断していた[5][45]。また、この時点で携帯電話が通じていたにもかかわらず、救助を求めずに自力でエンジンを修理することにこだわった[45]。これは武智が極端に遠慮深い性格のためだが、このために救助後に海上保安庁からの非難を受けている[45]。
- 武智に金銭的余裕がなかったため、万一遭難したときに備えてのレーダーやGPSなど、現在位置を把握するための航海計器が船に搭載されていなかった[46]。
生存の要因
物理的な要因
- 武智は繁栄丸を購入した直後、水上に浮かんだときの船の姿が気に入らず、船底にバラストとして積まれていたかなりの数の砂袋をすべて外していた[44]。これにより船の浮力が増し、台風を乗り切るなどして生還に繋がったものと武智は推測している[28][44]。
- 本来は日帰りの出航だったにもかかわらず、武智自身が買い溜めの習慣があったため、缶詰、ソーセージ、煎餅、インスタントラーメン、即席の粉末スープなど、約4日分の食料を常備していた[47][48](ただし、後のインタビューでは備蓄食は煎餅だけだったと語ったこともあり、自著書の内容などとは矛盾している[49])。
- 置き薬の業者が置いて行った栄養ドリンクが十数本あり、魚やインスタント食品だけでは補給しきれない栄養素が補われた[50][51]。
精神的な要因
- 乾電池式カセットデッキを積んでおり、夜には好きな歌手の音楽を楽しむことで心が癒され、よく眠ることができた[51]。
- 食料が釣った魚ばかりで食べ飽きそうなときでも、ラーメンやスープなどがあったので舌を満足させることができ、精神安定の効果になった[51]。
- 石鹸の匂いを嗅ぐことで、風呂に浸かって疲れを癒している気分に浸れた[49]。またコーヒーが大好きな武智は、飲み干したコーヒーのペットボトルの匂いを嗅ぎ、コーヒーを飲んでいる気分に浸ったこともあった[49][51]。後に武智はこの経験を振り返り、嗅覚が人間の精神に与える効果に驚いている[49]。
これらの精神安定については、救助後の武智を診察した東海大学医学部付属病院の医師が、彼には胃潰瘍の既往があるにもかかわらず、胃にはストレスの痕跡などがまったく見られなくて驚いたという[52]。