武田信高
室町時代の武将。上総武田氏2代。武田信長の嫡男。上総介。
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武田伊豆千代丸
上総における信高
その後の上総武田氏
系譜では、信高の跡は子の道信が継いだ(庁南武田氏)。また、子の信興は真里谷城を拠点とする真里谷武田氏の祖となった。
しかし、近年になって黒田基樹は造海城近くの三柱神社にある文明17年(1485年)に奉納された棟札にある「大檀那武田八郎氏信年十一歳」とする記述があるのに着目している。黒田は八郎が信長も名乗った仮名であることから、氏信は世代的に信長の嫡孫で同時期に上総武田氏の宗家当主として造海城にいた可能性が高いとしている。系譜に従えば、氏信は信高の子となるが、氏信の父に関する記録は無いため断定はできない(そもそも、氏信の名前は現存する上総武田氏の系譜には載せられていない)。また、黒田は世代的に系譜では信高の子とされているが寛正年間(1460年-1466年)には活動が見られる武田清嗣(事績より信興と同一人物と推定される)と文明7年(1475年)生まれの氏信の年齢差が大きすぎるため、清嗣は信長の庶子が正しく、祖父・父の死によって幼くして家督を継いだ氏信に代わって上総武田氏の主導権を握って、真里谷・庁南の祖となったと推測している[1]。