武蔵忍士団

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武蔵忍士団(むさしにんしだん)は、2016年柴田清美相澤和広らによって設立されたNPO法人である。

忍士の役割と技能

母体は2006年、柴田仁一鉄聞斎、柴田清美、相澤和広らによって結成された「武蔵一族 忍びの衆」である。柴田氏は、三河国を発祥とした直参旗本で、近世には江戸幕府の幕臣として仕えた。宮本武蔵との直接的な関係はなく、他の柴田氏との区別のため「武蔵の柴田氏」と称している。この呼称により、親族や一族郎党を含めて「武蔵一族」として知られている。2019年に、和文化の振興と公益への寄与を目的として、NPO法人として認定された。

忍士(しのびざむらい)とは、戦国時代から江戸時代初期にかけて活動した武士階級の忍びの者を指す呼称である。1676年に編纂された忍術書『萬川集海』において分類された用語の一つであり、単なる実働の忍者とは異なり、忍術を体系化し、自身の郎党や下僕を訓練し、情報収集・潜入・破壊・謀略などの任務組織的に運用し、遂行させる指揮官的役割を担った郷士的存在とされる。武蔵忍士団の定義では、江戸期以降に幕府に仕えた制度的、実務的な隠密を忍び侍または忍士、忍士団設立以降は団員を「忍士(にんし)」としている。忍士は単なる戦闘者ではなく、知識・技術・礼節、精神性を備えた情報戦の専門家として、時代を超えてその存在意義を示す。

武蔵忍士団による忍術の定義では、忍術は武術ではなく、戦略的情報収集技術の集大成とされる。忍士の使命は戦闘ではなく、情報を得て任務を遂行することであり、その技能は多岐にわたる。伝承される技術には、忍具の製作、技芸、馬上武芸、薬草の知識、火薬の扱い、言語教育などが含まれる。

江戸後期における能力主義の台頭と忍士家系の登用

1794年、江戸幕府は、1792年に開始された「学問吟味」に基づく能力主義制度を正式に導入し、学識に優れた者に対して役職の門戸を開放した。この制度の導入により、忍び侍(忍士)たちは従来の武芸に加えて、学問的成果を重視するようになった。

1802年、第11代将軍徳川家斉の治世下において、柴田家の当主・甚四郎が幕府の学問所に奉職した。甚四郎の子・順蔵は、学問における優秀さが認められ、「派政五右衛門組」に昇進し、目付としての任に就いた。

歴史

柴田貞太郎剛中(しばたさだたろうたけなか、1823 - 1877)

Shibata Sadataro Takenaka in Paris, 1862

文久の遣欧使節の組頭として開港延期の交渉、各国での視察や情報収集の要として役割を果たした。また、慶応の遣欧使節としてフランスに駐在。英仏の政府などとの交渉や、その他の情報収集を行った。国内で外国人の関する全ての出来事に柴田が関わったと言われている[1][2]

1833年、小普請となる。1841年、学問所で2度表彰され、1842年、目付となる。1843年、武術と「学門吟味」で幕府から褒美を受ける[3]

1858年、外国奉行組頭となり横浜港の開港交渉など欧米各国と交渉に従事。

Shibata Sadataro Takenaka (center), Matsudaira (left), Takeuchi (right)
柴田貞太郎の役職は影と書かれている

1862年、遣欧使節の組頭として各国との交渉に直接参加した。また、ヨーロッパでの情報収集の要とされ、当時の西欧の新聞記者達は柴田を「影」と呼んでいる[4]

1863年、外国奉行となる[5][6]

1864年1月、 将軍上洛にともない柴田は留守居役となる[7]

1864年4月、 函館に出張、日本の港の鎖に関してロシア総領事のゴスケビッチと鎖港などの交渉にあたる[6][8]。柴田の日載で徳川幕府が条約締結国に対して、協調外交を行おうとしていたことが窺える。

1865年、慶応の遣欧使節の長としてパリに1年間駐在。柴田は、英仏政府に幕府への軍事顧問を送るよう要請。英国は辞退したが、フランスが了承。これにより、柴田はフランス軍事使節団の招聘を行った[9]。また、この間、柴田は情報収集を行いながら、ロスチャイルド家やヨーロッパ企業と交渉している。部下に国際法を学ばせた[10]

帰国後、兵庫港(現神戸港)の開港業務を担当し、埠頭、外国人居留地、徳川道を建設。

1868年、外国の代表団を前にして、兵庫港開港を宣言[11]

永持享次郎穀明(ながもちこうじろうよしあき、1826 - 1864)

[12]

Nagamochi Kohjiro, diplomat in Bakumatsu era, younger brother of Shibata Sadataro Takenaka in Nagasaki

1844年、「学門吟味」に合格[13]。永持の専門分野は言語と海軍防衛。

1849年2月16日、目付となる。

1853年、ロシア船「ディアナ」下田港入津のため伊豆相模を偵察[14][15]

1854年、オランダから寄贈された「観光丸」の船長候補の一人として勝海舟らと長崎に転勤[16][17]

1855年、長崎奉行所の吟味役となる。奉行所内に英語学校を設立[18]

1855年10月、ロシアの提督プチャーチンを訪問し、追加の交渉を行い日露通商条約の条項を締結に携わる[19][20][21][22]。長崎製鉄所の建設が始まり庶務会計を主宰[23]

1857年、長崎奉行支配吟味役となる。長崎出島を訪問し、オランダ商館長クルチウスから広東戦争の詳細を聞き、長崎奉行に報告[24]

1860年4月、ロシア艦が対馬国尾崎浦に入ったため偵察[25]

1860年5月長崎奉行支配組頭として、対馬占領を目ろむロシアのポサドニック艦長ビリレフと交渉し退去させる[26][27][28]

1863年、御徒頭過人兼外国御用出役頭取締となる。

1864年、別手組200人及び附属役等合計212人を率いて上洛、禁裏警守[29]

永持五郎次明徳(ながもちごろうじあきのり、1845 - 1903)

Nagamochi Gorōji, a samurai and member of the 1862 Takenouchi mission to Europe

若くしてオランダ語を学ぶ。五稜郭で戦ったフランス人ジュール・ブリュネ大尉(映画『ラスト・サムライ』のモデル)の義父。

1862年、叔父の柴田貞太郎剛中に随行し文久遣欧使節団の一員として渡欧。帰国後、フランス語教師を経て日本陸軍中佐となる[30]

1891年、現在の東京農業大学の前身である徳川育英会育英学学校の初代学長に就任[31]

柴田専一龍之丞(しばたせんいちたつのじょう、1888 - 1956)

Shibata Sen'ichi Tatsunojo Salvationist

1917年、柴田専一龍之丞、キリスト教に改宗し救世軍の士官となる。その死後50年間は世間に対して門戸を閉じることを命じた。

柴田仁一鉄聞斎(1928 - 2016)

柴田仁一鉄聞斎

1951年、柴田仁一鉄聞斎、その江戸捕物工房で一族に伝承されている武芸、工芸、鉱山業での技術、その他の忍び術を指導。

2006年、柴田専一の50回忌後、継承者である柴田清美、相澤和広とともに「武蔵一族 忍びの衆」(後の武蔵忍士団)を設立。米田和近を「一族 忍びの衆」の頭目として任命した。

柴田清美朱雀

2006年、「武蔵一族 忍びの衆」設立を経て、同年アーバン忍者道場を新宿に開設。 同道場で一族の修行の一環として忍者、侍体験の提供も開始した。

2010年、 相澤和広とともに東京都、北区田端にアカデミーを設立。

2014年、武蔵一族合同会社が設立された[32][33]。代表社員は柴田朱雀。

Musashi Ninja Clan Honjin Dojo is located in front of Tokyo Tower in Shibakoen, Minato, Tokyo

2016年、柴田仁一鉄聞斎の逝去を受けて、相澤和広とともに「武蔵一族 忍びの衆」の組織を再編し、団体名を「武蔵忍士団」へと改名、米田和近を頭目に任命

2017年、港区芝公園の機会振興会館に本陣道場を移転。

2019年、相澤和広とともに根本理念を「忍士道」と命名[34]

2019年、NPO法人「武蔵忍士団」を設立。

2019年、相澤和広ととも「忍士道──忍士団の新パラダイム」と題し、第3回国際忍者学会大会にて発表を行った。また、団体の国際的な情報発信を目的として、Facebook上に公式グループ (The NPO Musashi Order of Shinobi Samurai)を創立した。

2019年、多国籍忍士団研究センター設立。[35] 総管領 (最高責任者 Kent Hayek) 管領 (スペイン語圏責任者 Ulises Villa Huesca)。

同研究センターは、歴史上の忍士の使命は情報収集ととらえ、世界の情報を提供することで忍士シンクタンクの強化を目的としている。 また、現在および将来の有効なフレームワークとして 「忍士道」 を提唱。 [36]

武蔵忍士団

2019年、NPO法人 武蔵忍士団創立。理事長(相澤和広)、副理事長(柴田清美), 理事(進藤まゆみ他7名)[37]情報収集・分析・提言を行うシンクタンク部門と伝統文化の普及・伝承を行うドゥ―タンク部門を持つ。 NPOのビジョンは、すべての人が繁栄する持続可能で平和な世界の実現。現在の事業は、文化の伝承と忍士養成。国際文化交流の分野で貢献すること。

欧州忍士団

2021年、NPO法人欧州忍士団設立。 理事長は Sven Kristjan Kreisberg[38]

忍士本陣道場

忍士道の展開

Academic presentation at International Ninja Research Association 2019
Ninja Research Report #3

忍士道と教育理念

忍士道の思想的背景には、江戸期の忍術書『万川集海』に記された倫理観がある。同書では、「忍の倫理は『正心』であり、忍は雇い主に忠実で、忍術を自らの利益のために用いるべきではない」とされている。しかし、幕府に仕えた忍士たちは、「正心」が恣意的な行為の正当化に用いられる可能性を認識し、より高次の倫理規範を求めた。1792年の「学問吟味」制度の導入以降、忍士も幼少期から四書五経を学ぶようになり、朱子学、五徳、五行、三才(天地人)思想といった教えが、忍士の哲学に影響を与え、その思想の形成に寄与したと考えられる。新渡戸稲造が武士道を体系化する頃には、忍士の道徳観や倫理観の基礎も同様に培われていたと見ることもできる。

武蔵忍士団は、忍士の理念が時代の変化に適応しながら進化し、忍の伝統が現代に至るまで継承されてきたと位置づけている。団体の教育体系には「忍士道」が組み込まれており、団員に対して「五輪忍法」および「共鳴」の思想が提示される。行動規範は「林風雷陰(隠)」という標語によって表現される。

「五輪忍法」は、仏教における五大(地・水・火・風・空)を基盤とし、それぞれの要素に対応する忍術の活用指針を体系化したものである。団員はこの思想を地域社会への奉仕活動の基本理念として位置づけ、修行を通じて心身の統合を図り、不動心を養い、最終的には「忍即和」の境地に至ることを目指している。

忍士教育は、忍者界におけるポジティブなパラダイムの創出に寄与するだけでなく、忍びの人格形成にも資するものとされる。武蔵忍士団は、忍びの知恵は時代を超えて現代にも活用可能であると提言している[39]

共鳴水鏡と「忍即和」を体現するための枠組み概要

2006年、当団体はその根本理念として「心を水鏡のように保ち、他者と共鳴すること」を掲げ、この理念を「共鳴水鏡(きょうめいみずかがみ)」と称した。これは、心を澄み切った水面のように保つことで、周囲の状況や他者の心情を正確に映し出し、共鳴的な関係性を築くことを目指すものである。

修行体系においては、和の実現を究極の目的とし、そのための最高位の術として「共鳴の術」または「観自在の術」が位置づけられている。これらの術は、自己と他者、自然との調和を体現するものであり、忍びの修行の最終的な到達点とされる「共鳴=和」の境地を目指す。

この理念を体現するための基本的な枠組みは、以下の三段階のプロセスに整理されている:

  1. 状況把握(空)
    心を「水鏡」のように静謐に保ち、三才(天・地・人)の行動条件をもとに、物事の本質を偏見なく観察・認識する。これは「状況把握の水鏡」とも呼ばれ、客観的視座=「空」の実践を意味する。
  2. 分析と判断(感)
    把握した情報をもとに、四象(林・風・雷・陰)の行動指針に従って、最適な判断を導き出す。この段階では、感性と論理の統合が求められる。
  3. 最適な対応(和)
    五輪(地・水・火・風・空)の理に則り、状況に応じた柔軟かつ効果的な行動を実践する。これを「五輪忍法」と称し、術の中核を成す。術は訓練と経験を通じて体系化され、状況に応じた応用が可能となる。
    この一連のプロセスは「感応=観自在法」と総称され、忍士にとっては「忍即和」すなわち「忍びの実践を通じて和を実現する」ことが最終目的とされている。

主な活動

2006年、「武蔵一族 忍びの衆」の設立。米田和近を「一族 忍びの衆」の頭目として任命した。新宿歌舞伎町にあった大型レストラン忍者屋敷にアーバン忍者道場を開設。

2010-2017 田端に武道道場「時代アカデミー」を構える[40]

2016年、「武蔵一族 忍びの衆」を「武蔵忍士団」へと改名、米田和近が新たに忍士団の頭目に任命された。

2017-現在、芝公園での武道道場「忍士本陣道場」の運営[41][42]

忍士団はシンク・及びドゥ―タンクとして運営されている。世界平和のために働いたの祖先の志を継承し、文化、国際交流、観光などを促進することを目的としたセミナー、ワークショップ、イベント、および情報収集に関連するサービスなどを一般に提供している。

2019年、忍士養成で使用されている記憶トレーニングを特集した通訳者用の教科書を刊行[43]

2019年、国際忍者学会で発表。

2023年5月 武蔵一族合同会社が浅草道場開設(台東区松が谷1-13-3)NPO法人の道場も同所に移転。

2025年10月 NPO法人武蔵忍士団のホームページのリニューアル(外部リンク参照:武蔵忍士団)

武蔵忍士団の忍具

脚注

参考文献

外部リンク

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