武陟県
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武陟県(ぶちょく-けん)は、中華人民共和国河南省焦作市に位置する県。県人民政府は木城街道興華路8号に置かれる[1]。
| 中華人民共和国 河南省 武陟県 | |
|---|---|
| 周の武王がこの地で登高望遠したという伝承 | |
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| 中心座標 北緯35度05分50秒 東経113度24分07秒 | |
| 簡体字 | 武陟 |
| 繁体字 | 武陟 |
| 拼音 | Wǔzhì |
| カタカナ転写 | ウーヂー |
| 国家 | |
| 省 | 河南 |
| 地級市 | 焦作市 |
| 行政級別 | 県 |
| 設置 | 596年 |
| 面積 | |
| 総面積 | 805 km² |
| 海抜 | 80 - 106 m |
| 人口 | |
| 総人口(2020年) | 66.13 万人 |
| 経済 | |
| GDP(2024年) | 363.6億元元 |
| 電話番号 | 0391 |
| 郵便番号 | 454950 |
| ナンバープレート | 豫H |
| 行政区画代碼 | 410823 |
| 公式ウェブサイト: http://www.wuzhi.gov.cn/ | |
県名は、周の武王が殷の紂王を討つ途上でこの地を通り、高所に登って遠望したという伝承に由来するとされ、「陟」は登る、興る意とされる[1]。武陟県は焦作市の東南部に位置し、黄河を隔てて省都鄭州市と向かい合う[1]。
歴史
武陟の地は周初には懐邑と称された。秦の統一後、県域には懐県が置かれ、河内郡の治所となった。また、秦代には武徳県も置かれた[2]。
隋の開皇16年(596年)、修武県南部を分けて武陟県が設置された。その後いったん修武県に併合されたが、唐の武徳4年(621年)に再び武陟県が置かれた。貞観元年(627年)には懐県が廃止され、武陟県に編入された[2]。
元代には中書省懐慶路、明・清代には河南省懐慶府に属した。中華民国期には河南省の行政区画再編を経て、1948年に中国人民解放軍が県域を接収した。1949年には平原省新郷専区に属し、1952年の平原省廃止後は河南省新郷専区に属した。1986年1月、焦作市の管轄となった[2]。
地理
行政区画
人口
2020年の第7回全国人口普査による常住人口は661,341人である[6]。
経済
交通
文化・観光
武陟県には黄河文化に関わる史跡が多い。代表的な文化財として、清の雍正元年(1723年)に創建された嘉応観、唐代創建とされる妙楽寺塔、東石寺仰韶文化遺跡などがある[1]。
嘉応観は黄河治水に関わる祭祀施設として知られ、全国重点文物保護単位に指定されている。妙楽寺塔も全国重点文物保護単位に指定されている。
特産
武陟県の特産には、四大懐薬、武陟大米、武陟油茶などがある[1]。武陟油茶は、小麦粉、落花生、ゴマ、豆類、木の実などを炒め、調味料を加えて作る当地の食品である。

