母恩寺
From Wikipedia, the free encyclopedia
高野山金剛峯寺に参詣する途中であった後白河法皇は、大川沿いの風光明媚の地でありながら、たびたび洪水で被害を被っていたこの地を憐れんで、永暦元年(1160年)に十五社神社を建立した。そして、仁安3年(1168年)にやはりこの地が気に入ったのかこの場所に目をとめ、久安元年(1145年)に亡くなった母待賢門院の菩提をここで弔おうと考え、十五社神社の北側に寺を建立した。寺名の由来は「産んでくれた母への恩返し」という意味による[1]。
以降数箇所の荘園を有する大寺院として興隆し、浄土宗の尼寺として代々皇女が住持を勤めた。しかし、度重なる淀川の洪水や兵火にあって衰微し、明治時代に入ってからの廃仏毀釈の影響や、1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲によって堂宇を焼失し、現在の境内に落ち着いた。本堂は1992年(平成4年)に新築され、5月1日に落慶法要が営まれた[2]。
元禄14年(1701年)刊の『摂陽群談』によると、本尊の阿弥陀如来は恵心僧都源信の作であるという。また、この寺の尼僧が作る美しい綿帽子は「滓上江(かすがえ)の綿帽子」として有名であった。