毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件
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概要
1989年6月1日、毎日新聞夕刊4版(主として東京23区配布[2])に「グリコ事件 犯人取り調べ」「江崎社長の知人ら4人 犯行終息宣言後も脅迫を続ける」「"標的"すぐ隣にいた!」といった見出しが踊り、一面トップから社会面まで「江崎勝久社長誘拐事件の主犯と実行犯ら四人を恐喝、脅迫などの容疑で取り調べを始めた。主犯の男は江崎社長の知り合いの男で、犯行終息宣言後も捜査当局に協力しないよう江崎社長を脅迫し続けていた。」「同社長の供述などから、誘拐事件をくわだてた主犯で、同社長に恨みを持つAと、Aに頼まれて同社長を誘拐、監禁した実行犯数人が浮上した。」「江崎社長宅や同社長が監禁された水防倉庫に残されていた遺留品とAらの身辺から採取した証拠資料を詳細に鑑定した結果、高い確度で一致することがわかった。」「江崎社長の協力によって犯人側の脅迫電話を録音し、同グループの極秘に採取した声と声紋照合などを行い、一日、取り調べにこぎつけた。」「金沢昭雄長官は午後一時すぎ、官邸に竹下首相を訪ね、グリコ・森永事件の解決を緊急報告する。」といったスクープ記事が掲載された[3][4]。
しかし、ほどなくして記事の内容が全くの虚偽であることが判明し、毎日新聞社は対応に追われた。当時、グリコ・森永事件における新聞各社の取材競争は熾烈を極めており、功を焦った記者の捏造という結果を引き起こしてしまった。
事件の影響
記事の内容の全てが誤りであることが判明したため、岩見隆夫編集局長(当時)が引責辞任。6月10日に「行き過ぎ紙面を自戒」「なぜ当日夕刊記事のような報道をしたのかについて、率直に説明すべきだと考えます。」「六月一日夕刊で報道した捜査進展については信頼できる筋の情報をもとに記事化しました。」「入稿から問題の4版締め切りまでの時間的余裕が限られたものであったため、当局の捜査見通しについての取材に対し、本来、万全を期すべき二重、三重のチェックという点で欠けるところがあり」「東京本社発行の夕刊4版で「犯人取り調べ」の見出しをとりましたが、これは現行犯でない限り、あくまでもぎりぎり容疑者であり、用語上不適切でした。」「社会的関心の高低を問わず、私たちは「事実」の重みに細心でなければならぬと、自ら戒めるものであります。」といった釈明文を紙上に掲載した[2]。