比良城 From Wikipedia, the free encyclopedia 城郭構造 平城築城主 佐々成宗築城年 天文年間(1532年 - 1555年)主な城主 佐々成政logo比良城(愛知県) 比良城跡に立つ佐々成政城址の碑と成政の墓城郭構造 平城築城主 佐々成宗築城年 天文年間(1532年 - 1555年)主な城主 佐々成政廃城年 天正3年(1575年)指定文化財 未指定位置 北緯35度13分50.6秒 東経136度54分5.85秒 / 北緯35.230722度 東経136.9016250度 / 35.230722; 136.9016250座標: 北緯35度13分50.6秒 東経136度54分5.85秒 / 北緯35.230722度 東経136.9016250度 / 35.230722; 136.9016250地図 比良城 テンプレートを表示 比良城(ひらじょう)は、尾張国春日井郡比良(現在の愛知県名古屋市西区比良)にあった日本の城(平城)。 現在の光通寺一帯が城跡と伝わり、東西75メートル、南北80メートルの規模であった[1]。 光通寺 歴史 佐々成政 天文年間(1532年から1555年)に佐々成宗によって築かれた[1][2]。北は庄内川に臨み、清洲城前衛の要衝であったが、天正3年(1575年)に成宗の子である佐々成政が越前府中に在城を命ぜられた際、廃城になったと見られている[1]。 特色 『信長公記』首巻には、次のような逸話が載せられている。小城では比良城ほど良い城はないと聞いていた織田信長が、ある時その近くの蛇池に大蛇が棲むという噂の真偽を確かめに赴いたついでに、比良城も見物しようとした。その際、佐々氏家老の井口太郎左衛門が信長を暗殺しようと計画したが、結局信長は比良城に寄らず清洲城に直帰したため、窮地を免れたという。 脚注 1 2 3 『日本城郭大系』 9巻、新人物往来社、1979年、299頁。 ↑ 花ヶ前盛明「佐々成政とその時代」(花ヶ前盛明編『佐々成政のすべて』新人物往来社、2002年)10頁 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、比良城に関連するカテゴリがあります。 西区史跡散策路(大乃伎・蛇池散策コース-佐々成政城址・光通寺-) 名古屋市 Related Articles