永徳元年(1381年)5月、鵜飼(毛受)頼定の嫡子として生まれる。幼名、松王丸 。
正長元年(1428年)初め、将軍足利義教に仕える。
永享4年(1432年)9月、義教の富士山観光に親子で供をした際、義教が尾張国中島郡毛受村の鵜飼(毛受)家の邸宅に立ち寄り庭内の松の大樹を見て歌を詠んだ。
嘉吉元年(1441年)に義教が赤松満祐に討たれた後、細川持之の旗下に入り、播磨蟹坂・人丸塚合戦で活躍するなどして、嘉吉の乱平定後に褒賞として安芸国佐伯郡を拝領し、また将軍足利義勝より一字賜って頼勝と称した。
文安3年(1446年)、亡父(頼定、1434年没)菩提のため尾張国石津郡太田村に大光院正琳寺を建立。
寛正2年5月18日(1461年6月26日)逝去。享年81。正琳寺で葬式が営まれた。