毛呂季光

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 1137年
死没 1206年
別名 藤原季光、通称:太郎
 
毛呂 季光(もろ すえみつ)
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 1137年
死没 1206年
別名 藤原季光、通称:太郎
墓所 埼玉県毛呂山町
官位 豊後守
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝
氏族 藤原北家小野宮流毛呂氏
父母 父:藤原仲光
季綱
テンプレートを表示

毛呂季光(藤原季光)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士御家人。関白、藤原実頼を祖とする上級貴族、藤原北家小野宮流大宰権帥藤原季仲の孫。武蔵国入間郡毛呂郷[1]の在地領主、関東御分国 豊後守。保元の乱の後、京より武蔵国毛呂郷(現埼玉県)に移り住んだのち、毛呂を名乗った。源頼朝の最側近として鎌倉幕府成立に尽力し、頼朝の側には常に季光あり、嫡男.季綱と共に二代に渡り仕えた。小野宮は元来、有職故実に精通する家流であり、季光もそれを受け継いでいる。正に文武両道の武士であった。その後も数々の戦を潜り抜け一族は戦国時代を生き抜いた。季光は藤原氏の出であったが、頼朝の母方とは縁戚関係にあり京都時代より両者には強固な信頼関係があった。このような由緒により源氏の門葉と同等の処遇を受けている。平安時代から続く名門一族、その血脈は東西にわかれ現在もなお続いている。

脚注

出典

Related Articles

Wikiwand AI