水本貴士
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東京都の出身。浪速外国語学校卒業後の1958年にOBCが開局すると、アナウンサーの1期生として入社した。アナウンサーになったのは、戦中を過ごした中学生時代にB-29の空襲警報を校内放送で流したことがあり、その時に「アナウンサーはお国のために役立つ」と思い込んだことからという[1]。
OBCへの入社後は、生ワイド番組など多数の番組に出演。OBCが初めて制作した深夜番組『アナウンサーコーナー』では、水本高志という名義でパーソナリティを務めた。平日早朝の生ワイド番組『水本貴士のヨーイドン!』を担当していた時期には、リスナーとの交流企画として実施されたハワイ、ヨーロッパ、オーストラリアへの旅行に、添乗員として同行していた。
また、1975年頃からは、OBCの関連会社・関西テレビ(KTV)が平日の午前中に放送していた『奥さまリビング』で司会を担当。両局の間でアナウンサーの相互交流企画を実施していた1976年度には、同番組の司会を続けながら、KTVへ出向していた[2]。
OBCの定年を迎える前に、1990年同局を退職。退職後は、「アナウンサープロジェクト」という事務所を主宰するとともに、自身もフリーアナウンサーとして活動している。