水町京子 From Wikipedia, the free encyclopedia ポータル 文学 水町 京子(みずまち きょうこ 1891年12月25日 - 1974年7月19日)は、日本の歌人、教育者。作詞家としても名を残す。本名は甲斐ミチ(かいミチ)。 1891年、香川県高松市に生まれる。東京女子高等師範学校国文科に進み、在学中に尾上柴舟の指導を受ける。のち古泉千樫の門に入り青垣会に参加。古泉没後は、独自に活動を続け大正時代末期から自ら歌集「草の実」、「不知火」などを刊行。1935年より「遠つびと」(とほつびと)を主宰し、亡くなるまで主幹を務めた。歌人としての活動と並行し、教育者として淑徳女学校(現:淑徳中学校・高等学校もしくは淑徳大学)で国語教師を務めた後[1]、桜美林学園(現:桜美林大学)へ移り教授を務めた。1974年7月19日、冠状動脈不全のため神奈川県相模原市相模野病院で死去。83歳。葬儀は桜美林学園の学園葬として行われた[2]。 主な著作 『不知火』(抒情詩社、1923年4月) 『水ゆく岸にて』(女人短歌會、1950年11月) 『水町京子歌集』(日本文芸社、1961年5月) 『木更津第一小学校校歌』(1934年2月に東京音楽学校へ校歌作成依頼→1935年5月に文化省にて校歌採用認定(検定)) 脚注 [脚注の使い方] ↑ “水町京子”. 20世紀日本人名事典. 2020年10月20日閲覧。 ↑ 訃報欄『朝日新聞』昭和49年(1974年)7月21日朝刊、13版、23面 典拠管理データベース 全般 FAST ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 アメリカ 日本 学術データベース CiNii Books CiNii Research この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集 Related Articles