水野元知
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生涯
寛永20年(1643年)、水野元綱の次男として生まれる。母は中川秀成の娘[1]。
慶安4年(1651年)3月、兄・元倫が早世したため嫡子となる[1]。承応元年(1652年)11月28日、将軍・徳川家綱に拝謁する[1]。明暦3年(1657年)12月27日、従五位下信濃守となる[1]。寛文3年(1663年)から翌年にかけて、父・元綱とともに領内2万石、39か村の検地を行った[2]。
寛文7年(1667年)5月23日、発狂して妻を斬りつけ、自害しようとする[1]。同月28日、所領を没収され、水野忠職に預けられた[1]。子・元朝に2,000俵(のちに2,000石)が給された。
発狂の理由は、正室と八重との間の諍いであると言われている他にも諸説あり、詳しいことは分かっていない。八重は、正室により九十九川に生き埋めにされたと伝わる[4]。