水野忠良

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時代 江戸時代後期
改名 益之助・惣兵衛(幼名)、忠良
 
水野忠良
時代 江戸時代後期
生誕 天保5年8月5日1834年9月7日
死没 安政5年3月28日1858年5月11日
改名 益之助・惣兵衛(幼名)、忠良
戒名 常徳院泰誉安然義道大居士
墓所 東京都文京区小石川の伝通院
官位 従五位下、出羽
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定
駿河国沼津藩
氏族 水野氏
父母 父:水野忠義、母:よし
養父:水野忠武
兄弟 惣兵衛、忠武忠良
養子:忠寛
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水野 忠良(みずの ただなが)は、駿河沼津藩の第5代藩主。沼津藩水野家12代。

天保5年(1834年)8月5日、第3代藩主水野忠義の五男として江戸外桜田屋敷で生まれる。天保15年(1844年)に兄で先代藩主の忠武が死去したため、その養子として家督を継ぐ。嘉永2年(1849年)12月16日には従五位下、出羽守に叙任された。

幕末期の外国船出没による政情の中、戸田の警備や軍事力の強化を図ったが、これらの出費に加えて嘉永5年(1852年)、嘉永6年(1853年)の旱魃で1万石の甚大な被害を受けるなど、藩財政は逼迫した。

安政5年(1858年)5月3日に死去した。享年25。跡を従弟にあたる忠寛が継いだ。

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