永璋
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生涯
永璋は雍正13年5月25日(1735年7月15日)に雍正帝第四皇子宝親王(後の乾隆帝)の第三子として生まれた。生母は格格(妾)の蘇氏であった。同年、祖父の雍正帝が崩御し、父の宝親王が乾隆帝として即位した。
永璋が15歳の時、彼がまだ乗馬しながら弓を射ることが出来ないことを乾隆帝が嘆いている。 また、同じ時期、乾隆帝は永璋に循郡王の称号を授けた。 循郡王の「循」という字は、満洲語で「温和」を意味し、永璋本人の温和で柔らかな性格だけでなく、永璋と生母の純貴妃や和碩和嘉公主同様に肺を患っていて、体が弱かったことも表しているとされる。
乾隆24年(1759年)8月16日、父の乾隆帝や母の純貴妃に伴い山荘で避暑していた際に、持病の肺疾患が重篤化し、乾隆帝が純貴妃とともに先に北京に返させ、チャンキャ・ホトクトらチベット仏教の高僧たちに祈祷を命じたにも関わらず、乾隆24年(1760年)8月16日に亡くなった。
家庭
登場作品
- 如懿伝 〜紫禁城に散る宿命の王妃〜(2017年、中国、演:チョン・シンユエン)
参考文献
- 『清史稿』