汎マイム工房
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主宰のあらい汎は太田省吾の劇団「転形劇場」に所属しながらパントマイムの活動も行っており、ヨネヤマママコの助手なども務めていたが[2]、1976年に汎マイム工房を旗揚げした。当初は肉体訓練スタジオとしての位置付けで[3]、生徒は3人であった。1977年には最初の公演を行った。[4]。1982年イタリア、アレッツォで開催された世界マイムフェスティバルへの参加を契機に劇団体制に移行。1983年の第10回アレッツォ世界演劇フェスティバルでは工房の5人で出場し、グランプリを獲得した[5]。それまで稽古場は池袋にあったが、1988年に転形劇場が解散すると、転形劇場が1985年から使用していた[6]T2スタジオを引き継ぎ[7]、練馬区羽沢に移転した。