江副靖臣
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1851年(嘉永4年)、肥前国佐賀郡大堂村(東川副村、諸富町を経て現佐賀市諸富町)に佐賀藩士、野口惣三の三男として生まれ、のち江副家の養子となった。藩校弘道館に学び17歳で江戸藩邸詰に任ぜられた。
明治維新後に慶應義塾に入り、横浜のヘボン塾に遊学した。慶應義塾在学中の1872年(明治5年)に新聞社を設立するがこれは失敗し、ほどなく廃刊となった。その後1874年(明治7年)、24歳の時に迎えた佐賀の乱では江藤新平率いる征韓党に属している。
乱の後は家永恭種らと共に戊寅義塾を設立し、後進の指導に当たっていたが、1883年(明治16年)の佐賀活版社の設立を皮切りに、翌年再度新聞事業に挑戦し佐賀新聞社を設立、さらに1886年(明治19年)代言人(弁護士)の資格を得てからは佐賀市の市制実施などに力を尽くした。また、1887年(明治20年)に設立された九州鉄道では取締役を務めている。
1889年(明治22年)から佐賀市会議員を22年務め、うち16年間議長を務めた。さらに佐賀県会議員を経て、1912年(明治45年)5月の第11回総選挙に佐賀県佐賀市区から出馬し、衆議院議員に初当選を果たした。数回の落選を経ての当選だったが、わずか3年後の1915年(大正4年)4月24日死去した。64歳。墓所は佐賀市高伝寺にある。
