江戸忠重 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代生誕 不明死没 不明別名 江戸太郎 凡例江戸忠重時代 鎌倉時代生誕 不明死没 不明別名 江戸太郎墓所 東京都世田谷区 慶元寺氏族 武蔵江戸氏父母 父:江戸重長兄弟 忠重、朝重テンプレートを表示 江戸 忠重(えど ただしげ)は、鎌倉時代の武将。武蔵江戸氏3代当主。 江戸重長の子として誕生。忠重は元久2年(1205年)の畠山重忠の乱で幕府方として参加した[1]。承久3年(1221年)の承久の乱に従軍し、宇治川の戦いにおいて戦死したと記されている[2]。しかし、ほかの系図ではこの記載はない。 忠重以降の武蔵江戸氏の系図は混乱して信用できるものがなくなるため、忠重でいったん江戸氏が絶え、庶流へ家督が移った可能性が指摘されている(『秩父平氏の盛衰』)。 脚注 ↑ 『吾妻鏡』 ↑ 『慶元寺本喜多見系図』 出典 『秩父平氏の盛衰』(埼玉県立嵐山史跡の博物館・葛飾区郷土と天文の博物館 編、2012年、ISBN 978-4-585-22038-1) 先代江戸重長 武蔵江戸氏 次代不明 Related Articles