江戸の酒問屋には、「下り酒問屋」と「地廻り酒問屋」の2種類があった。
新川、新堀、茅場町あたりに軒を連ねており、摂泉十二郷産のものだけでなく尾張、三河、美濃で産した中国ものなども含めて、下り酒全般を扱った。しかし上方の酒屋は当時かなりの豪商ぞろいで、各地に自分たちのネットワークを持つ総合商社のていをなしていたので、下り酒問屋の多くは、上方でその酒を造っている酒屋の「江戸営業所」から大きくなったものであった。
南茅場町、南新堀、霊岸島あたりに軒を連ねており、幕府直轄領の多い関八州の酒、すなわち関東の人から見れば地元の酒を扱った。そこで売られる地廻り酒は、江戸の消費者にとっては「下り酒」の反対語であり、地廻り悪酒などと悪口を叩かれ、「安物の酒」「まずい酒」といったニュアンスがあった。そこで地廻り酒問屋も地廻り酒だけでは商売が成り立たなくて、しだいに下り酒も扱うようになっていった。