江見康一
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平成忠臣蔵
平成14年(2002年)4月、東京都中央区の聖路加看護大学裏の浅野内匠頭屋敷跡から赤穂市の大石神社までの約680kmを自転車で127時間かけて走破している。
江見は昭和14年(1939年)、師範学校の学生時代、旧制中学校の校長の死に接し、その霊を弔うために赤穂から東京までを自転車で走破している。このときの記録は(旅館に泊まった時間を含めて)103時間だった。このことは当時の新聞やラジオでも報道されたという。この新聞記事は見合い結婚の際、仲人から相手方に示され、相手の結婚の意を決させる役割をも果たしたということである。
平成14年に挑戦したのは、忠臣蔵の事件が元禄14年、前回の走破が昭和14年ということで14にかけている。またこの年は吉良邸討ち入り300周年に当たるということで、本人曰く、赤穂と吉良の仲直りの仲介役をするというものであった。準備に際しては当時の吉良・赤穂の両シルバー人材センター会長と連絡を取り(江見は武蔵野市シルバー人材センター会長であった)、神奈川県警や知り合いの医者などとも入念な打ち合わせを行なっている。この走破では途中、愛知県幡豆郡吉良町(当時)に立ち寄り、吉良義央の墓参りを行なった。そして終点の大石神社では、吉良で買った塩と赤穂の塩を混ぜ、「和解のパフォーマンス」を行なっている。