江部乙神社

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所在地 北海道滝川市江部乙町東12丁目1-24
位置 北緯43度37分29.038秒 東経141度56分36.805秒 / 北緯43.62473278度 東経141.94355694度 / 43.62473278; 141.94355694座標: 北緯43度37分29.038秒 東経141度56分36.805秒 / 北緯43.62473278度 東経141.94355694度 / 43.62473278; 141.94355694
江部乙神社

江部乙神社

所在地 北海道滝川市江部乙町東12丁目1-24
位置 北緯43度37分29.038秒 東経141度56分36.805秒 / 北緯43.62473278度 東経141.94355694度 / 43.62473278; 141.94355694座標: 北緯43度37分29.038秒 東経141度56分36.805秒 / 北緯43.62473278度 東経141.94355694度 / 43.62473278; 141.94355694
主祭神 天照大神大国主神
社格村社
創建 1894年(明治27年)
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江部乙神社(えべおつじんじゃ)は、北海道滝川市江部乙町に所在する神社旧社格は村社。

祭神は、天照大神大国主神

1894年(明治27年)5月、江部乙の地に南北2中隊400戸の屯田兵とその家族が入植を始めた[1]。しかし、当時は信仰のよりどころとなるものがなかったため、神社建立を求める声が興り、両中隊の有志が数度の会合を重ねた末に、仮神殿を造営して天照大神を祀り、「江部乙神社」と称した[1]

1897年(明治30年)、神殿と拝殿を改築し、同時に伊勢山田神宮奉斎会より神霊を受領する[1]

1908年(明治41年)7月、拝殿を改築[1]

1913年(大正2年)に公認神社としての創立を出願し、翌1914年(大正3年)3月6日の内務省指令で許可が下りた[1]

1917年(大正6年)9月7日、村社に列格[1]

1943年(昭和18年)には江部乙開基50周年記念事業として社殿造営の計画が立てられ、戦時中のことゆえに困難も伴ったが、翌1944年(昭和19年)9月に新社殿が竣工する[1]

1945年(昭和20年)12月25日、国家神道の廃止に伴い、宗教法人として再出発する[1]

1972年(昭和47年)4月、江部乙町西18丁目にあった出雲神社を合祀[1]

1979年(昭和54年)7月、通学道路の新設に伴って境内地の約765平方メートルを滝川市に譲渡し、神社の移改築と南参道の新設を行う[1]

開村記念碑
1928年(昭和3年)11月、江部乙開基35周年記念事業の一環として建てられた[2]
日露戦役紀念碑
日露戦争には江部乙屯田兵のほとんどが出征しており、戦勝祝賀会と戦死者の村葬を終えた後に碑の建設運動が起こって、1906年(明治39年)7月に建立された[3]
忠魂碑
日露戦争における江部乙地区の戦死者26名を慰霊するため、1913年(大正2年)5月14日に建てられ、6月8日には除幕式と招魂祭が執行された[3]
1978年(昭和53年)8月、滝川市遺族会江部乙地区の会員たちが醵出した50万円で、日露戦争から太平洋戦争に至るまでの町内出身戦没者195名の氏名を刻んだ銅板が忠魂碑に付設され、翌1979年(昭和54年)6月6日に除幕式が執り行われた[3]
石狩川沿岸道路竣工記念碑
石狩川沿岸道路とは、洪水の防止・沿岸地帯の連絡・出水時の避難経路という多目的の道路で、江部乙では期成会をつくり全村一丸となって完成を見た[3]
この碑は1937年(昭和12年)6月、江部乙町西12丁目地先の旧伏古渡船場入口に建てられたものだが、後の石狩川治水事業の際に障害となったため、1961年(昭和36年)5月5日に江部乙神社境内へと移設された[3]
風雪九十年屯田魂の碑
1983年(昭和58年)9月、屯田兵の入植以来90年が経過したことを契機に、開拓者たちの労苦を偲んで建てられた[3]

狛犬

江部乙神社の狛犬は、あたかも笑顔を浮かべているような独特の表情をしている。「笑う狛犬」としてテレビ番組で取り上げられて以来、人気の観光スポットとなった[4]

なぜこのような表情をしているのか、平成年間の神主は「残念ながら不明です」としている[4]

脚注

参考文献

外部リンク

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