池沼慧 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 1946年愛知県名古屋市死没 2016年国籍 日本著名な実績 ナポレオン岩初登頂 針之岩初登頂池沼 慧(いけぬま さとし)生誕 1946年愛知県名古屋市死没 2016年国籍 日本著名な実績 ナポレオン岩初登頂 針之岩初登頂 テンプレートを表示 池沼 慧(いけぬま さとし、1946年 - 2016年)は、登山家、ロッククライマー。 海洋上に浮かぶ岩峰の登攀を「洋上登攀」と称し、実践していた[1]。日本列島の洋上の100m級の岩である針之岩とナポレオン岩を初登頂している。日本山岳会東海支部所属。 「洋上登攀」歴 1972年8月 - 伊豆諸島の孀婦岩99mに挑戦するも、登攀中にメンバーの一人が負傷し敗退。乗って行ったヨットの船長は戸塚宏[2][3][4]。 1981年7月 - 鮎沢清次、森本学ら8人で伊豆諸島の須美寿島136mに挑戦するも、隊員松田敬右が墜落死し、敗退した[5][4]。 1981年8月 - 須美寿島で墜落死した松田の生まれ故郷である甑島のナポレオン岩122mを鮎沢清次と2人で初登頂[6][7][8][4]。 1982年5月 - トカラ列島の臥蛇島木場立神110mに偵察のため鹿児島に行くも天候が悪く断念。甑島東海岸のロウソク岩45mを初登攀[9][4]。 1988年6月 - 小林亘、鮎沢清次ら6人で聟島列島の針之岩136mに初登頂[10][11][12]。 その他の登山歴 1976年8月 - ソヴィエト連邦最高峰のコミュニズム峯7,495m(現在の名前はイスモイル・ソモニ峰)登頂[13]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 池沼慧「洋上登攀記」『東海山岳』No.5、日本山岳会東海支部、1985年、185-187頁。 ↑ 真鍋喬「特別企画 孀婦岩登攀記 - ヨットに乗って岩登り」『太陽』119号, 1973年5月号、平凡社、90-100頁。 ↑ 池沼慧「洋上登攀記 - 孀婦岩の試登」『東海山岳』No.5、日本山岳会東海支部、1985年、185-187頁。 1 2 3 4 石原俊洋「ワイドルポ<話題の追跡>潮風の中の岩峰登攀 - 池沼慧グループの主張と記録」『岳人』第422巻、東京新聞出版局、1982年、32-35頁。 ↑ 池沼慧「洋上登攀記 - 須美寿島」『東海山岳』No.5、日本山岳会東海支部、1985年、188-192頁。 ↑ 池沼慧「洋上登攀記 - ナポレオン岩の登攀」『東海山岳』No.5、日本山岳会東海支部、1985年、192-194頁。 ↑ 「NAPOLEON-IWA'80 - 甑島列島下甑島ナポレオン岩初登=池沼慧、鮎沢清次」『クライミングジャーナル』50号, 1990年11月号、白山書房、1990年、54頁。 ↑ 大内尚樹 編『別冊太陽 日本の秘境- 人跡未踏?の秘境を訪ねる』平凡社、2002年、123-125頁。 ↑ 池沼慧「洋上登攀記 - 小さなロウソク岩の登攀」『東海山岳』No.5、日本山岳会東海支部、1985年、194-197頁。 ↑ 「小笠原・針之岩 - フリークライミング初登頂」『週刊プレイボーイ』1988年 No.40、集英社、1988年。 ↑ 池沼慧、小林亘「洋上の怪峰・針之岩初登攀記 - 未登のロマンを求めて」『岳人』第495巻、日本山岳会東海支部、1985年9月、113-115頁。 ↑ 大内尚樹 編『別冊太陽 日本の秘境- 人跡未踏?の秘境を訪ねる』平凡社、2002年、62-64頁。 ↑ 神崎忠男、池沼慧「コミュニズム峯登頂 - 1976年8月、パミール・キャンプでの記録」『岳人』第354巻、東京新聞出版局、1976年、124-128頁。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。表示編集 Related Articles