池田春野
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人物
故事についてわかりやすく述べることができ、その内のいくつかは採用すべきものもあった。天長10年(833年)冬の大嘗会において、仁明天皇が禊祓をしようとして賀茂川に行幸した際、春野は掃部頭として行幸の行列に加わった。しかし、諸大夫が着用している装束の裾が地面を引きずっているのを見て、大笑いして「裾が地面を引きずるのは通常の形式で、神事の際に相応しい古体のやり方ではない」と言い、自らの着用している装束を指して古体の形式であるとした。その裾は地面から高さがあり、装束の下に着ている袴の裾が見えるようになっていた。諸大夫は皆驚いて、「古体の着用方法は唐と同じであり、後代はこれに倣うべきである」と言ったという。春野の衣冠の着用方法は古風であり、身長も6尺(約180cm)以上で、人々が集まる中で立つと人目を引いた。白髪を蓄え、まさに国家の元老といった風体であった[1]。