池田清 (政治学者)
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鹿児島県出身。1944年(昭和19年)3月、海軍兵学校(73期)卒業。重巡洋艦「摩耶」に乗組、砲術士としてレイテ沖海戦に参加。「摩耶」が撃沈された後、戦艦「武蔵」に救助されるが、「武蔵」も撃沈され九死に一生を得た。帰還後は海軍潜水学校普通科を経て「伊四七潜」砲術長兼通信長となり、回天「多聞隊」を乗せて出撃した。
戦後は公職追放を経て[3]、歴史学を志す。1952年(昭和27年)、東京大学法学部政治学科卒業。大阪市立大学教授を経て、東北大学法学部教授。1988年定年退官、名誉教授[4]、青山学院大学国際政治経済学部教授、2000年定年退職[5]。
左脚には負傷した際の小弾片が入ったままであった。