池辺吉十郎
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幼少期
天保9年1月11日(1838年2月5日)に熊本藩士の子として生まれる。本名は重章(しげあき)。また、藩校で学ぶ。翌年には世話役や組役なども任せられた。その後、家督を継ぎ、また、京都守護も命じられる。
武士時代
26歳になると、第二次長州征伐の際に小倉出兵に従った。その後、池辺三山(吉太郎)を授かる。
教育家時代
35歳になると、一家で横島村(現・熊本県玉名市横島町)へ出る。横島村で私塾を開き、門下を集めながら、弟子たちに教育。しばらくすると、村民から多くの尊敬を受けた。また、政治家である西郷隆盛、武士の桐野利秋との交流も得ていた。それだけでなく、4年間、鹿児島に遊学し、帰郷すると、また、私塾を開いた。
西南戦争時代
西南戦争が始まると、村田新八と話し合い、西郷隆盛に味方しようとしたが、議論をするごとに話がまとまらないため、自ら熊本隊を編成した。後に約1000人もの人数を率いる熊本隊の隊長となった。熊本での戦いの際には、各地で奮戦。敗戦し政府に捕らわれ長崎に移され処刑。
墓所
子の池辺三山が、長照寺に仮埋葬していた遺骨と遺髪を持ち帰り、熊本県玉名市に移し埋葬。現在は横島町文化財保存顕彰会が管理している(2008年12月22日に文化財指定)。墓は、吉十郎の本名である「池辺重章」と彫刻されている。