汪守珍
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事績
清の抜貢。清末には、奉天高等検察庁庁長、民政部郎中、黒竜江高等審判庁庁丞、黒竜江提法使を歴任した。中華民国が成立した後の1912年(民国元年)9月、汪守珍は北京政府の司法部次長に就任した。翌年9月、司法総長許世英から梁啓超への引継ぎの間に、短期間ながらも代理総長をつとめている。1914年(民国3年)9月、福建省に赴任し、廈門道尹となった。[2][3][4]
1925年(民国14年)12月、汪守珍は許世英内閣において国務院秘書長となる。翌年2月、許世英内閣が崩壊すると、汪も辞任した。国民政府が成立した後に、汪は中央救済準備金保管委員会委員兼常務委員となる。1939年(民国28年)1月まで、その地位にあった。[2][3][4]