沖津賢一郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
岡山県井原市立西江原小学校卒業。岡山県井原市立井原中学校卒業。岡山県立井原高等学校卒業。帝京大学中退。立教大学文学部卒業。
大学在学中、劇団員となる。その間、パーティの司会者などをつとめていたが、2000年、自分の映画を1本だけ作りたいと、長篇映画の脚本を執筆し、制作に入るも、紆余曲折を経て未完に終わる。
この頃の監督術は、ストーリィと俳優の演技に偏っており、撮影現場でカメラマンや助監督らから「監督、カメラ位置どこ?」「このカットどこまで?」と聞かれても無頓着で、自身を含めた俳優の演技面での演出プランにばかり重点を置いていた。
以降、舞台演劇と映画演出のちがいを痛感し、富野由悠季著「映像の原則」などを読みながら独学で映像演出を学ぶようになる。また、大森一樹、篠崎誠、インディーズ映画監督伊東岳、映画カメラマン能勢広、岩谷和行、撮影監督 長田勇市らからの指導を受け、高間賢治、宮武由衣、室井孝介、川島透、塙幸成、坂野義光らとも仕事をするようになり、本格的に映像作家としての活動を始める。
一方、その間の俳優業は、芸能事務所に籍を置き、主にテレビ番組の再現ドラマ、小規模映画等に多数主演していた。それら多くの現場で、フリーランスとしての人脈づくりに励む。しかし徐々にディレクター、映像作家としての仕事が増加し、俳優としての仕事からは遠ざかるようになる。
数年の間、演技からは離れていたが、2011年、日本タレント協会特別会員となったことを契機に、今後は俳優業にも復帰したいと自身の公式ブログなどで述べた。
作風
本人による映像作家の定義は、俳優業と監督業を両方こなす者としてであり、一般的に考えられているCGや合成を得意とするクリエイターとしての映像作家ではないことも、公言したことがある。 さらに、自分は技術音痴であると認める発言もしている。
実際の作風も、自身で合成などはほとんど行わず、演技指導、撮影でのカメラアングル、演出としての細かい編集に力を注ぐ傾向が強い。 これは、舞台演劇からそのキャリアをスタートさせたことの影響と、初めて監督した映画での教訓からくるものと自ら述べたこともある。
初期においては、エディプスコンプレックスや死の欲動を主題に据えたプロットで脚本を書くなど、かなり暗いものもあった。本人も「極みつきの悲劇を描きたかった」、「いざ、プロットから自分の作品となると、大真面目になってしまう」などと述べていたが、近年は、自身で脚本を書くことが減少していることもあり、エンターテイメント色が強まる傾向にある。これについては、「1年半の間に身近な人を7人続けて亡くした。ものの考え方が変わってきたような気もする」と述べている。