沖縄解散
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1969年の 第2次佐藤内閣の大きな課題は沖縄の施政権返還問題について、1969年6月から9月にかけて 愛知揆一外務大臣とウィリアム・P・ロジャーズ国務長官との会談を下地にして、同年11月19日から21日にかけてアメリカで佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で日米首脳会談が行われ、11月21日の日米共同声明で1972年中の沖縄返還及び核抜きも沖縄返還を日本の核政策に違わない形で実施する旨をアメリカ大統領が確約した発表した[1]。
一方で、自民党の川島正次郎副総裁と田中角栄幹事長は「党内はすでに選挙ムードに入って実質的な選挙戦に入っており、この選挙ムードを抑えると党内に不満が表面化し、自民党内の乱れが野党攻勢を誘発しかねないこと」「沖縄返還に対する一般国民の支持で、自民党の任期は上昇機運にあること」「この時点で選挙すれば、必然的に安保条約の自動延長という自民党の方針について信を問うことになり。安保条約の固定期限の切れる1970年6月は比較的混乱なく乗り切れること」などの情勢判断を述べ、首相の所信表明演説に対する代表質問が終わった後に解散を断行すべきことを進言し、佐藤首相も異論をとなえなかった[2]。
11月29日に第62回臨時国会が召集され、12月1日に佐藤首相は衆参本会議で「核抜き本土並み、1972年沖縄返還」と「1970年以降も日米安保条約堅持」の二点を強調する所信表明演説を行った[3][4]。12月2日に衆議院本会議で佐藤首相の所信表明演説に対する代表質問が行われ、代表質問に対する首相答弁が終わったところで、保利茂内閣官房長官が解散詔書を衆議院事務総長を通じで松田竹千代衆議院議長に手渡し、松田議長が解散詔書を朗読して衆議院解散となった[3]。
- その後の経緯は第32回衆議院議員総選挙を参照。