河村シゲル
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横浜市中区松蔭町(当時名称)で生を受け、6男1女の末子として生まれる。伊勢佐木町に親の営む豆問屋屋号「いさご豆」が在り、当時横浜の繁華街伊勢佐木町で幼少期を過ごす。
その後横浜市立東小学校に入学するが、小学校低学年に藤沢市鵠沼海岸へ家族と移り住む。幼いころは肋膜炎で外遊びさえ出来なかった。長兄とは20歳以上離れて生まれた為、両親は末っ子のシゲルの身体を心配し空気の良い海沿いの別荘地 鵠沼海岸松が丘に転居を決めたもので、藤沢市立鵠洋小学校に転入する。鵠沼中学[2]に入る頃には健康になるが身体を案ずる親に内緒で野球部に入部。
高校は鎌倉学園高等学校[2]に入学。鎌倉学園ではボクシング部に所属し硬派を目指す。まだ日本にサーフィンが存在しなかった時代から、鵠沼海岸の自宅前の海に仲間達と板切れで波乗りをしていた。進駐軍の米兵が鵠沼海岸に車で来てはサーフボードを抱えて海に入る姿を見て初めてサーフィンという名を知る。
上智大学文学部ドイツ文学科入学。