河村縄興 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明死没 不明官位 隠岐守[1] 凡例河村縄興時代 戦国時代生誕 不明死没 不明官位 隠岐守[1]主君 甲斐武田氏氏族 河村氏子 河村下野守?、河村下総守?[2]テンプレートを表示 河村 縄興(かわむら つなおき)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。 はじめ武田信縄、のち信虎に仕える[1]。信虎と油川信恵の家督争いでは河村重家が油川方に付いたのに対し、縄興は信虎方に付いた[1]。大永2年(1522年)伊勢神宮御師幸福大夫宛てで書状を提出している[1]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 柴辻俊六編『武田信虎のすべて』、新人物往来社、p.196(2007) ↑ 縄興の息子あるいは近親者と推測されている。 この項目は、日本の戦国時代に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:日本の戦国時代/Portal:歴史)。表示編集 Related Articles