河村若芝

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群仙星祭図 1669年 絹本着色 神戸市立博物館
石灯篭図 1685年 絹本着色 個人蔵

河村 若芝(かわむら じゃくし、寛永15年(1638年) - 宝永4年10月1日1707年10月25日))は、江戸時代前期に長崎で活躍した画家工芸家逸然に就いて画を修め、長崎漢画の発展に尽くした。その奇矯な画様は伊藤若冲や曾我蕭白などの「奇想の画家」のルーツとされる。また、腐食象眼の技を学び細工に優れた。

を蘭渓、道号を道光、煙霞比丘(師から襲名)・風狂子・紫陽山人・散逸道人・普馨などとした。また釈道光・意山和尚とも呼ばれた。

肥前国佐嘉の豪族龍造寺家の出自という。なんらかの理由で隠遁生活を送り、長崎に出て黄檗僧と交友するうち、逸然に就いて画を学ぶ。渡辺秀石とともに長崎漢画を代表する画人となり、ともに師と共通の画号である煙霞比丘を襲名。逸然と同じく、道釈人物図を得意とするが、山水図花鳥画も画き、喜多元規風の頂相も画いている。若芝の画風は風狂子の画号通り奇矯な造形美を有し、後の伊藤若冲曾我蕭白などの奇想の先駈けともいわれる。若芝流の祖となり、門下に上野若元・河村若軌・山本若麟・芦塚若鳳・牛島若融上野若龍(写真家上野彦馬の父)らがつらなり幕末まで続いた。唐絵目利職になった小原慶山も一時若芝の門下にあった。また紀州の南画家祇園南海に中国絵画の添削指導を行ない、日本南画の発展に寄与した。

木庵から鉄腐象眼の金工技術を学び、若芝鐔工の開祖となった。二代目河村若芝はこの鐔工を継承し優れた刀鍔を残している。

法号蘭渓若芝上座。墓所は海雲山晧台寺後山。現在確認されている作品は50点余である。

作品

参考文献

出典

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