河村順子
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京都小石川区久堅町(現在の東京都文京区)出身[2]。1932年(昭和7年)、「かごめかごめ」「お薬とり」でポリドール・レコードからデビュー[3]。1935年(昭和10年)1月、ポリドール専属となる[4]。1936年(昭和11年)、キングレコードに移籍し[4]、同年2月、父河村光陽が作曲した「うれしいひなまつり」が大ヒット。以降父の作曲した「かもめの水兵さん」、「りんごのひとりごと」、「赤い帽子白い帽子」などがヒットした[5]。特に、「かもめの水兵さん」については、戦前・戦中の童謡SP盤で一番販売した作品であった[6]。
その後は声楽家の木下保に師事するが、1941年(昭和16年)、音楽学校入学のためキングとの専属を解消し、1944年(昭和19年)、武蔵野音楽学校声楽科に入学[6]。1946年12月24日、父の光陽が急死し、父の率いていた子鳩会児童合唱団を引き継ぐ[7]。
音楽学校卒業後、歌劇「カルメン」のミカエラ役として再デビュー[7]。NHK「子供の時間」、ニッポン放送で歌のお姉さんとしてレギュラー出演する傍ら、キング、コロムビア、クラウンなど各社で童謡をレコーディング[7]。
1963年(昭和38年)、オーストリア・ザルツブルクのオルフ研究所へ留学[2]。帰国後の1966年(昭和41年)からは、中村学園大学助教授および教授[2]、千葉敬愛短期大学教授となり、音楽指導を行った[7]。
1987年(昭和62年)にはCDで『河村順子・童謡の歩みI』を発売し、「流れ星」、「夕方のお母さん」などを新しく吹き込んだ[7]。1991年(平成3年)には、続巻となる『河村順子・童謡の歩みII』を発売[8]。
1985年(昭和60年)、第15回日本童謡賞特別賞を受賞[8]。
57年間にも渡る長い活動歴で吹き込んだ童謡が約380曲になり、累計レコード売上が1000万枚以上に達した業績を称えられ、1989年(平成元年)には『ギネスブック』に登録された[9]。
脚注
- 1 2 3 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、45頁。ISBN 4-272-61066-X。
- 1 2 3 「河村順子」『新撰 芸能人物事典 明治~平成』。https://kotobank.jp/word/%E6%B2%B3%E6%9D%91%E9%A0%86%E5%AD%90。コトバンクより2026年3月3日閲覧。
- ↑ 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、47頁。ISBN 4-272-61066-X。
- 1 2 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、48頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ↑ 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、49頁。ISBN 4-272-61066-X。
- 1 2 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、50頁。ISBN 4-272-61066-X。
- 1 2 3 4 5 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、51頁。ISBN 4-272-61066-X。
- 1 2 長田暁二『童謡歌手からみた日本童謡史』大月書店、1994年11月1日、52頁。ISBN 4-272-61066-X。
- ↑ 『日本経済新聞』1990年2月13日付大阪夕刊、29頁。
この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 |
| 全般 | |
|---|---|
| 国立図書館 | |
| 学術データベース | |
| 芸術家 | |

